歪酷博客
日历
网志分类
· 所有网志
· Classical Music
· Experience
· Biz-Talk
· Game
· Japanese-Learning
· 未分类
最新的评论
站内搜索
友情链接
· 歪酷博客
· 管理我的Blog
· Jeffrey's Observe Room

订阅 RSS

0002944

歪酷博客

日语天堂

原日语天堂japan2.myrice.com的blog版本


GEN @ 2005-09-10 11:11

基本上内容来自资本HMV的介绍。
日本人在这方面的推荐普及已经做到了全民参与,这里介绍一下最出名的诠释。

其中伯恩斯坦和库贝力克的全集GEN也是早就听过,两者各有所长。
阿巴多出院之后指挥BPO的现场录音也很有特色。
巴比罗利的BBC录音是我的入门碟,强烈推荐。


 
GEN @ 2005-09-10 11:10


バーンスタイン / 第1回 マーラー全集 

レナード・バーンスタイン(指揮) 

BERNSTEIN CENTURY』シリーズとして単売されているマーラー12CDを納めたBOXセット。内訳は、1960年から67年にかけて収録された交響曲第1番から第9番、1975年の第10番『アダージョ』に、ジェニー・トゥーレル独唱の『亡き子を偲ぶ歌』と『4つの歌曲』、ジャネット・ベイカー独唱の『亡き子を偲ぶ歌』、さらに、リンカーン・センターこけら落としで演奏された交響曲第8番の第1部、暗殺されたロバート・ケネディ上院議員の告別式で演奏された第5番のアダージェットという、2つの貴重なライヴも収録されています。

 演奏は、全体に60年代のバーンスタインならではの雄弁かつエキサイティングなまでの活力が横溢した快演揃いで、その熱っぽくストレートな訴えかけには、強烈な感情移入をみせる晩年の再録音とはまた違った魅力があふれており、情念的な重苦しさがないぶんだけバーンスタインのマーラーに寄せる共感をより率直に感じ取ることも可能でしょう。

 天衣無縫と言いたくなる軽快な躍動感に満ちた第4番、荒々しいほどのタッチでしゃにむに作品に迫った第2番『復活』、細部まで神経を通わせた表現ながら、まるで一気に書き下ろしたかのような鮮度を片時も失わない第1番『巨人』等々、のちのバーンスタインからは聴かれなくなった若々しいさが、このセットにはギッシリと詰まっています。


 
GEN @ 2005-09-10 10:29


クーベリックの代表的な名盤として知られるボックス・セット。マーラーの複雑膨大な作品が孕むさまざまな要素をことごとく抽出しながらも、決して感情過多や音響過多に陥ることの無いこれらの優れた演奏の背景には、クーベリックが、マーラーと同じくボヘミアの出身であること、バイエルン放送交響楽団の所在地であるミュンヘンが地理的にチェコに近く、ボヘミア的な要素の表現にも適正があったことが関係しているのではないでしょうか。
 実際これらの演奏では、マーラー作品でよく聴かれる民謡風な旋律や民俗的な舞曲のリズムが実に魅力的であり、深刻な部分や大音量の部分も、そうしたディテール情報の蓄積・展開・再構築といったプロセス抜きには説得力を獲得することが難しいということを強く印象付けてくれます。
 ヴァイオリンとピアノの演奏に長け、また、作曲を通じてもさまざまな楽器の特性を知り抜いていたクーベリックだけに、ここでもオーケストレーションへの配慮が実に高水準で、クレズマー・ミュージックや農村の草いきれを連想させるような素朴な質感から、新ウィーン楽派の到来を予告するような場面での鋭利な質感にいたるまで、巧みに描きわけられています。
 ヴァイオリンを両翼に配した楽器配置も効果的です。セッション録音で楽器間のパースペクティヴが適切なこともあって、各楽器の「」がより際立つことに繋がっています。
 旋律表現をとても大事にしたクーベリックの演奏で聴くと、マーラーがなぜ交響曲と歌曲ばかり書いたのか何となくわかるような気がしてきます。それくらい、ここでの抒情的な美しさをたたえた表現は素晴らしく、なにげない旋律に込められた憧れや喜び、恋愛感情、失意といった要素が、名歌手が言葉に気持ちを込めて歌うかのように表されているのです(そういえば交響曲のような歌曲のような作品、『大地の歌』でのクーベリックのアプローチは、まさに歌詞にもこだわった濃やかなものでした)。

・交響曲第1番ニ長調『巨人
・交響曲第2番ハ短調『復活
・交響曲第3番ニ短調
・交響曲第4番ト長調
・交響曲第5番嬰ハ短調
・交響曲第6番イ短調『悲劇的
・交響曲第7番ホ短調『夜の歌
・交響曲第8番変ホ長調『千人の交響曲
・交響曲第9番ニ長調
・交響曲第10番嬰ヘ短調~アダージョ


 
GEN @ 2005-09-10 10:26


クレンペラー&ウィーン・フィルBOX
CD1からCD7には、1968年ウィーン芸術週間での5公演を収録!
(すべてムジークフェラインでのステレオ・ライヴ録音)

CD8には1958年のドイツ・レクィエムを収録!
(状態の良いモノラル・ライヴ録音)

また、今なら特典としてテスタメント・サンプラーCDが付属します!

吉田秀和氏の名著『世界の指揮者』の中に有名な一節があります。「...これはすごかった。あとにもさきにも、あんなに大きな拡がりをもった《第五》をきいたことはないといってよい...」
 ここで触れられている『運命』はじめ、激しくしかも高貴な美しさが深い感動を呼び起こす『コリオラン』、空前絶後のスケールに目も眩むばかりのベートーヴェンの交響曲第4番、壮大に開始され情熱的に締めくくられる圧倒的な『ジュピター』、終楽章コーダのとんでもなく深い呼吸と巨大さに思わずのけぞるブルックナーの交響曲第5番などなど、とにかく凄いとしか言いようのない演奏内容と大ヴォリュームで、1968年初夏の5週間、「ウィーン芸術週間」の特別な記録をムジークフェラインザールでの良質な録音で味わえる素晴らしいセットの登場です。



 オットー・クレンペラーの唯一の音楽財産の継承人で、人生すべてを父に捧げ、彼を偉大なる芸術家たらしめた功労者として知られる、娘ロッテ・クレンペラー。彼女は死の前年「父の録音は、今後EMIとテスタメント以外からはリリースさせない」との声明を発表。これは、いかにテスタメント社が絶大な信頼を得ていたかの証明でもあります。
 実際、彼女の死後も信頼を裏切ることなく最良のかたちでのリリースを重ね、遂に、今回のボックス・セットのリリースへと実を結ぶこととなります。

 クレンペラーのウィーン・フィル・デビューは1933年。この記念すべきコンサートに、クレンペラーは切り札「ブルックナーの第8番」を提案します。ところが、リハーサル終了間近になって、同市のトーンキューンストラー協会管から「同じ週にブルックナーの8番を演奏することをすでにアナウンスしてしまっているので、プログラムを変更して欲しい。」との要請が届きます。クレンペラーはブルックナーの他の交響曲ならどれでもできると申し入れ、ウィーン・フィル側は第5番を指定。そしてなんと、クレンペラーはスコア無しでリハーサルをこなし、このコンサートを大成功に導いたのです。アメリカ人評論家B.H.ハギンは「この第5番のコンサートと、この年の夏のザルツブルクでの第8番、そして、9月の世界聖餐会議における特別コンサート(9番)で、クレンペラーは、フルトヴェングラーでもワルターでもなく、彼自身が最も偉大で印象深いブルックナー指揮者であることを証明してみせた。」と評しています。当時のファゴット奏者でトスカニーニの信頼も篤かったフーゴー・ブルクハウザー(クラウスとは対立していましたが)は、「クレンペラーは、ワインガルトナーやシュトラウスとともに失われてしまった感覚を思い出させてくれた。宗教的で祈りにも似た音楽家としての感覚。彼の慣習に捕らわれない左手の動きはまるで魔術師のようだった。」と回想します。

 クレンペラーは1947年にウィーンに戻ってきますが、その後このオーケストラと共演するまでには、11年の歳月が流れます。その11年後の再会が、ボーナス・ディスクにあるブラームスの『ドイツ・レクィエム』でした。
 「我々はこの曲を何十回と聴いている。シューリヒト、フルトヴェングラー、カラヤン・・・。なのに、昨日ムジークフェラインにいた誰しもが、ブラームスの『ドイツ・レクィエム』を初めて聴いたかのような錯覚に捕らわれた!」これが翌日のウィーン・エクスプレスに掲載された評でした。

 5年後の1963年6月、クレンペラーは再びウィーンを訪れ、得意のレパートリーでもあるマーラーの交響曲第2番『復活』を指揮して大評判となります(ちなみにこのときはウィーン響にも客演しており『エロイカ』と『コリオラン』ほかを演奏しています)。

 次にクレンペラーがウィーンを訪れたのは1968年のこと。この年は、プラハの春、キング牧師暗殺、ロバート・ケネディ暗殺など、世界的に政治的暗雲が立ち込めた年でもありました。
 この年の2月から3月にかけて、クレンペラーはロンドンで『さまよえるオランダ人』の録音と演奏会形式上演をおこない、続いてマーラーの交響曲第9番をコンサートで取り上げます。さらにジャクリーヌ・デュプレとのR.シュトラウスの『ドン・キホーテ』のレコーディングにとりかかりますが、残念ながらこれは途中でキャンセルしてしまいます(ボールトが引き継いで完成)。

 5月にはいよいよウィーンへ。過去に輝かしい実績を残してきたクレンペラーとウィーン・フィルでしたが、83歳という老齢の指揮者との仕事が容易なものであったわけではありません。さすがのウィーン・フィル団員ですら「異常なまでの緊張感と超絶した即興演奏能力を要求された。」と当時を振り返ります。
 「特に、マーラーの9番!」コンサート・マスターであったワルター・ウェラーも、この交響曲最大の難所をまかされたホルンのローラント・ベルガーも口を揃えます。ホールの3列目でこのコンサートを実際鑑賞した、スワロフスキー、アバドそしてメータは終演後「ウィーン・フィルはマーラーの9番を体で理解してしまった!」と舌を巻いたとか。また、『ドン・ファン』のリハーサル時、フルートのウェルナー・トリップがソロ・パッセージの部分をもう一度練習するか確認したところ、クレンペラーは「わたしは、あなたがたがこのパッセージを完璧に演奏するであろう確証をすでに得ている。ありがとう、諸君!これで終わりだ。」といってリハーサルを打ち切る場面も。(この言葉がどれほどの緊張感を生んだか想像してみてください!)
 この一連のコンサートの中で、当初のプログラムからの変更は3箇所。3番目のコンサートでは、ハイドンの交響曲第101番の代わりに、クレンペラー編曲の『ラモーのガヴォット』が演奏され、そして、4番目のコンサートでは、暗殺されたロバート・ケネディを追悼してモーツァルトの『フリーメイソンの為の葬送音楽』(残念ながらオフィシャルなテープが存在しません)がマーラーの9番の前に演奏されました。そして最終日、シューベルトとシュトラウスの後にはもっと伝統的なものがふさわしいと、指揮者とオーケストラの同意があり、ストラヴィンスキーの『ペトルーシュカ』の代わりに、『マイスタージンガー』の初演100周年を記念して、ワーグナーの3曲が演奏されることになったのです。


 
GEN @ 2005-08-19 23:11

――上海に全額出資の商社「蝶理(中国)商業」を7月、設立した

 日本の繊維商社として初めての全額出資の商社法人だ。正式な営業許可証を7月15日に取得した。従来から保税区に法人を設けていたが、今回認可を受けた新法人は保税区法人には認められていない輸出入権を自前で持てる。国内販売権もある。しかも政府商務部の100%のお墨付きを得ている。この「100%」という点が大きい。




――政府のお墨付きを得たメリットは

 法的な保護を受けた、きちんとした会社にしておかないと、中国での取り引きには不安が残る。具体的には売り掛けの問題が挙げられる。相手と場所によっては、売り掛けが残っていても、「知らない」と言い張られてしまう。保税区法人には必ずしも十分な法的裏付けが与えられていないというこちら側の事情を見透かしてのことだ。しかし、新会社は仮に法廷闘争になっても大丈夫だ。中央政府の保証がある。中国でコンプライアンスの心配なく、堂々と取り引きするために、どうしてもこの新会社が欲しかった。


――自前の輸出入権は悲願だった

 これまでは輸出入権がなかったため、中国の代理業者を使わねばなかなかった。通関や決済を代理業者にゆだねてきた。増値税(中国における消費税に近い位置付けの税)インボイス(送り状)の発行も自前ではできなかった。自社で通関や決済ができれば、今まで支払ってきた手数料がゼロになる。業務のスピードも増す。取り引きのボリュームが大きくなればなるほど、手数料負担は重荷になるので、事業をさらに拡大する前に解消しておきたかった。


――新会社を中国市場開拓に生かす

 中国の国内市場に正面から入っていく。それが輸出入権や国内販売権を手に入れる最大の狙いだった。従来の保税区法人では全国に支店を作れなかった。新法人に認められた資格を生かして、国内事業所を一つに結ぶ。そして、どんどん大きくなる国内消費市場を攻める。


――新会社は中国からの輸出にも役立つ

 中国からの輸出を加速したい。スポーツウエアの米国向け輸出を既に始めたところだ。中国製品を米国などの海外市場に輸出する流れを拡大したい。

 中国で主に生産・調達している製品は紳士・婦人服、スポーツウエア、子供服などだ。大半は日本のアパレルメーカーに納入している。事業対象は繊維製品のほかに繊維原料、化成品、機械などにまたがる。

 中国の生産拠点を広げる。現在は上海が中心だが、最低賃金の引き上げがあったことなどから、山東、遼寧省などへのさらなる進出を考えている。


中国の縫製工場の様子
――商社機能は3分野に限定して認められた

 商社機能について3分野に限定して認めるというのが中国商務部の方針だとされている。もっとも、書面では明示されていない。いわゆる行政指導があったらしい。

 当社の場合、総合商社ではないのが結果的に幸いした。主に手がけている事業の実態が3業種程度だからだ。主力3業種を素直に申請した。認められた3分野は「繊維」「化学品」「機械設備・加工製造設備・プラントなど」だ。小売業は申請しなかった。


――人民元切り上げの影響は

 当社の場合、中国での輸出入の額がほぼ等しい。為替の面での影響はプラスマイナスゼロとなる。2003年の取り引き実績が700億円、2004年が830億円だ。会社全体の取扱額が2400億円だから、830億円という数字は30数%の高い貢献度となる。現地法人も利益が出ている。

 2006年には1000億円に伸ばす計画を立てている。タイミングよく新会社が設立できたので、もっとアグレッシブに国内市場に入っていけるだろう。できれば1000億円達成を前倒ししたい。


――中国語にたけた人材が社内に多い

 社員の語学力は当社の強みだ。可能な限りたくさんの日本人社員に中国語を話させるようにしている。中国駐在、留学、社内研修などを通じて人材を育ててきた。中国語を得意とする社員が結構な数いて、しかもその伝統が長い。中国語は当社のDNAだ。

 当社では議事録は中国語で残す。日本人が総経理の場合でもだ。物を売るときに相手の言葉を使うのは絶対に不可欠の条件だ。既に人はそろっている。これからドンと行く。


――人の現地化を進めてきた

 今まで以上に現地スタッフの登用を進める。既に部長級の中国人がいる。中国人スタッフのポジションはさらに引き上げる。副総経理(現地法人副社長)クラスへの起用も十分あり得る。


上海拠点の中国人デザイナーたち
――中国製品のレベルアップを急ぐ

 現地法人が今春から独自にデザイナーを採用し始めた。20代の女性デザイナー2人を迎えた。1人はイタリアでデザインを学んだ経験を持つ。ぜひ「上海発」のファッションを世に出したい。既に現地にショールームを構えて、商談や企画提案ができるようにしている。

 今までは日本から注文を受けて、中国で生産してきた。この流れを変えたい。中国人デザイナーの手で発信し、「中国から世界にうって出る」のが夢だ。



 
GEN @ 2005-08-19 23:09


 【上海=川瀬憲司】上海外貨取引センターで人民元と外貨の銀行間先物取引が始まったことが16日分かった。15日から既存の銀行間外為取引システムで先物取引も可能になり、2件の取引が成立した。

 同センターによると15日に成立したのは1カ月物と1年物の取引。いずれも4大国有商業銀行の中国工商銀行と中国建設銀行の間の対ドル取引で、1カ月物が1ドル=8.0778元、1年物が7.8140元だった。

 元の先高観測を反映し、15日の直物の終値に比べ、それぞれ0.24%と3.50%の元高・ドル安。15日の香港市場の人民元先物(ノン・デリバラブル・フォワード=NDF)の1年物(7.28元台)に比べても元高だった。

 中国人民銀行(中央銀行)は金融・外為市場整備の一環として、10日に銀行間の為替先物取引を解禁した。ただ、為替先物取引に欠かせない金利市場が未成熟な点などが課題として指摘されている。

 16日の人民元の現物相場は1ドル=8.1002元と6営業日ぶりに元安・ドル高で引けた。